不思議と、ほどほど [雑情報]
節分も過ぎました。
子どもの頃は大きな行事で、露店の並んだ吉田神社へ行くのが楽しみでしたが、
もう何年も行っていません。今年も見送ってしまいました。
鬼やらい「追儺式」、神札を焼上げる「火炉祭」が神社の行事で、
家では、年齢(数え年)の数だけ、豆を食べました。
なんで豆まき?
中国から渡来して宮中で行われていた行事から とか、
邪気を全て祓ってしまうための追儺(ついな)の行事から、
きてるようですが、子どもの頃からなので、不思議な事ではありません。
「鬼は・・」は何処でも「外」ではないですね。
追われてきた鬼を迎え入れようという金剛峯寺も「福は内、鬼も内」。
鬼を神とする土地もあって「鬼は内」です。
なぜか、ホットします。
何処へ行っても悪者扱いなのに、優しくしてくれる人達がいたって事にです。
「悪霊」を誰かが「鬼」の姿に描いてしまったのでしょう。
「鬼」は時代を経て悪の象徴になってしまいます。
「よそもの」と、自分達以外の人を、「鬼」のように見ていた、という話しを
聞いた事が記憶にあります。だから、よかったねと感じてるのかもしれません。
話しが、とびました、
豆まきは、昔からで、不思議ではなく、習慣なら、
不思議なのは?って事になりますね