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ライスシャワー [トトとか]

アンチからファンへ

1992年11月8日、日曜日、三冠馬の誕生に立ち会いたくて、私は京都競馬場に来ていました。
すでに、三冠達成の垂れ幕の準備がされています。
主役は、坂路調教の申し子「ミホノブルボン」です。7戦7勝のダービー馬、ゴールまで落ちないスピードの持ち主、限りなく勝利に近い馬です。
私の予想も当然のように、勝ちタイムが計算出来る「ミホノブルボン」です。また、当然のように1番人気(1.5倍)です。
2番人気には、ダービー2着の「ライスシャワー」が支持されていましが、関東で売れているのだろうと(関東の厩舎の馬なので)、切りました(予想候補から外した)。簡単に見限ったのは、馬券で痛い目にあっていたからです。勝って欲しくない馬だったのです。その訳は、さらに5ヶ月前にさかのぼります。

ダービー当日、私は、テレビの前で天井を見つめていました。ほんの数秒前まで勝利を確証して、小さいガッツポーズで中継を見ていたはずなのに・・・・。庶民の、はかない夢を”ハナ差”で奪った犯人?犯馬?が2着にはいった「ライスシャワー」だったからなのです。

菊花賞は「ライスシャワー」が、逃げる「ミホノブルボン」を差しきって勝ちました。多くの馬券が舞っていました。
負けて帰る足取りは重く、家が遠く感じます。またしても、こいつに・・・。

「ライスシャワー」は、翌年の天皇賞(春)で「メジロマックイーン」の3連覇を阻止し、”黒い刺客””関東の刺客”と称されるのでした。
しかし、その後スランプに陥り、勝てないレースが続き、ついに故障してしまいます。
復帰後、3戦を経て、2年ぶりに天皇賞(春)で勝利をあげました。久しぶりの京都競馬場で再会の時、「ライスシャワー」は、もう”憎たらしい馬”ではありませんでした。競走馬としては小柄な馬体で、一生懸命駆ける姿に、関西の競馬ファンも応援するように変わったのを感じました。私もそんな一ファンでした。そして、ファン投票1位で、宝塚記念をむかえます。

1995年復興競馬として、京都競馬場で”宝塚記念”が開催されます。そのレースで、安楽死という処置を、目前にすることになりました。(京都競馬場には関東馬の「ライスシャワー」の記念碑があります)

毎年何千頭も生産される競走馬ですが、1頭、1頭に、大勢の人が自分達の思いを乗せています。
勝ち残った馬しか子孫を残せない非情な世界です。安楽死になってなかったら、「ライスシャワー」の子ども達が、走っていたとか、と想うと、とても残念になります。
馬券の事でアンチになって、負けていると応援してみたり、姿かたちで好きになったり、身勝手な感情でしかありませんが、
彼は、確かに、思い出に刻まれたドラマの”主役”なのです。

この秋も、10月22日(日)菊花賞(第67回)が京都競馬場で開催されます。
今年は、メイショウサムソンが三冠馬を目指しています。

名馬列伝 ライスシャワー 


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